※この写真は岡崎城/三河武士のやかた家康館様からご提供いただいております。
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- 鑑定区分
- なし
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- 時代
- 室町時代
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- 制作国
- 三河国
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- 刀工
- 藤原正真
愛知県岡崎市にある「岡崎城/三河武士のやかた家康館」の歴史について、ご紹介します。
15世紀前半、菅生川(すごうがわ:乙川の一部)と矢作川の合流地点にある丘陵「龍頭山」(りゅうとうざん)に、三河国(現在の愛知県東部)守護仁木氏の守護代の系統と考えられる「西郷稠頼」(さいごうつぎより:古記録によるとその子・頼嗣[よりつぐ]とも)が砦として築城したのが岡崎城の始まりです。
別名として「竜城」(りゅうじょう)、「竜ヶ城」(たつがしろ)とも呼ばれます。
その後、1531年(享禄4年)に、徳川家康の祖父にあたる「松平清康」(まつだいらきよやす)が城郭を整備して拡張。以来、「岡崎城」と称されるようになりました。
1542年(天文11年)、幼名「竹千代」こと徳川家康が岡崎城内で誕生。
徳川家康は、6歳のときに「織田信長」の父「織田信秀」(のぶひで)の人質となり、8歳で「今川義元」(いまがわよしもと)の人質となったため、少年期を岡崎城から離れて過ごしました。
1549年(天文18年)、徳川家康の父「松平広忠」(まつだいらひろただ)が家臣の謀反によって没すると、岡崎城は今川氏の支城(しじょう:領主の居城である本城を補助するための城)となります。
1560年(永禄3年)には、「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死。これを契機に徳川家康は岡崎城を奪還し、今川氏から独立しました。
徳川家康は、1570年(元亀元年)に本拠を「浜松城」(静岡県浜松市)へ移して、岡崎城は嫡男の「松平信康」(まつだいらのぶやす)に任せます。しかし松平信康は、織田信長から謀反の疑いをかけられて自刃したため、以降は重臣の「石川数正」(いしかわかずまさ)、「本多重次」(ほんだしげつぐ)らが城代を務めました。
1590年(天正18年)、徳川家康が「豊臣秀吉」によって関東へ移封(いほう:大名などの領地を他へ移すこと)されると、豊臣秀吉の家臣「田中吉政」(たなかよしまさ)が岡崎城へ入ります。田中吉政は、石垣や総堀などを築いて、岡崎城を近世城郭へと生まれ変わらせました。
1601年(慶長6年)には、徳川氏の重臣「本多康重」(ほんだやすしげ)が5万石で入城。徳川政権下では、徳川家康生誕の地として重要視され、譜代大名が城主を務めることとなります。
明治維新を迎えると、「廃城令」により、天守をはじめとする建物の多くが取り壊されてしまいました。岡崎城は、石垣と堀を残すのみとなりましたが、1959年(昭和34年)、復興を望む市民の声に後押しされて、3層5階建ての天守を再建。
2006年(平成18年)には、「日本100名城」のひとつに選ばれました。
岡崎城の天守は、2~4階まで歴史資料館として、江戸時代の岡崎について紹介しています。
2階のテーマは「藩政と支配」です。「岡崎藩」がどのような政策を打ち出していたか、また農民支配に関して、展示している武器や武具をはじめ、藩政資料や映像によって知ることができます。
3階は「城下町の文化と産業」。江戸時代、城下町・宿場町として繁栄した岡崎の産業や文化、人々の暮らしとは、どのようなものだったかを知ることができます。
4階では「城と城主」をテーマに、歴代の岡崎城主について紹介。さらに、旧観を知る人の記憶や、絵図史料などをもとに再現された江戸時代の岡崎城の城郭模型は必見です。
5階は「展望室」となっており、岡崎市の街並みと、矢作川、菅生川、そして北に連なる三河の山々を一望できます。
日本刀の展示は、竜城美刀会の協力によって、三河刀工の作など20振が並んでいます。主な収蔵作品として挙げられる1振が、刀「銘 正真 裏金象嵌猪切」(めい まさざね うらきんぞうがんいのししきり)。
「徳川四天王」のひとり、「酒井忠次」(さかいただつぐ)の愛刀として知られ、「三河武士のやかた家康館」で開催される企画展などの際には、来訪者の目をくぎ付けにしています。
茎(なかご)裏にある「猪切」の金象嵌(きんぞうがん:彫った溝に純金を埋め込む技法)は、徳川家康のお供で狩りに出た酒井忠次が、猪を切ったことにちなんで施されました。制作者の「正真」は、「村正」一派とも伝わる「三河文殊派」(みかわもんじゅは)の刀工で、「天下三名槍」の1振「蜻蛉切」(とんぼきり)の作者「藤原正真」(ふじわらまさざね)であると言われています。
藤原正真と同じく、三河国を拠点とした刀工「真助」(しゅんすけ)の作品「銘 三州薬王寺 主真助 文亀二年八月日」(めい さんしゅうやくおうじ あるじしゅんすけ ぶんきにねんはちがつひ)も一見の価値あり。真助が属した刀工集団「薬王寺派」は、碧南郡矢作(現在の愛知県岡崎市)を中心に活動していましたが、現存数が極めて少なく、間近で見られる貴重な1振となっています。
三河武士のやかた家康館では、徳川家康のルーツ・松平氏から始まり、徳川家康が生まれてから天下統一に至るまでの道のりと、それを支え続けた三河武士について常設展で解説されている他、「関ヶ原の戦い」を再現した迫力満点のジオラマや、クイズ形式で楽しみながら学べるコーナーも設置。
なかでも来場者の人気を集めているのが、甲冑の試着体験や、日本刀の重さ体験です。「赤備え」(あかぞなえ)を模した甲冑を身に付けて写真撮影をしたり、徳川四天王屈指の猛将「本多忠勝」(ほんだただかつ)が所用した名槍・蜻蛉切のレプリカを持ち上げて重さを体感したりすることができます。
また、1階の特別展示室と1階展示室では、季節ごとに企画展を開催。開催中の企画展や、これから開催される企画展の予定など、興味のある展示を見逃さないよう、公式サイトでチェックしてみることをおすすめします。
岡崎城/三河武士のやかた家康館の収蔵作品をご紹介します。
※展示内容は時期によって異なります。
※この写真は岡崎城/三河武士のやかた家康館様からご提供いただいております。
※この写真は岡崎城/三河武士のやかた家康館様からご提供いただいております。
岡崎城/三河武士のやかた家康館の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認いただけます。
所在地 | 〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561-1 |
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電話番号 | 0564-22-2122 |
交通アクセス | 「岡崎公園前駅」下車 徒歩6分 |
営業時間 | 9~17時(入館は16時30分まで) |
休館日 | 年末(12月29~31日) |
駐車場 | 有り |
入場料 | 【岡崎城】 大人(中学生以上):200円(160円/130円) 小人(5歳以上):100円(80円/60円) 【三河武士のやかた家康館】 大人(中学生以上):360円(280円/230円) 小人(5歳以上):200円(160円/130円) ※()内は30名以上/100名以上の団体料金です。 |
公式サイト | https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top |
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