「日本の城と戦国武将」「主な江戸100藩」「武将・大名の家紋一覧」関連図

群雄割拠の時代と言われた戦国時代には、戦国大名が生き残りを賭け、あまたの戦を繰り返し、時代の荒波を越えてきた歴史があります。

「刀剣ワールド」の「戦国時代の戦国大名一覧」では、戦国時代に数多く存在した戦国大名について、地域ごとにまとめました。

東北の伊達家、関東の真田家、東海の徳川家、関西の浅井家、中国の毛利家、九州の立花家など、戦国時代を代表する日本全国の戦国大名一覧です。
戦国大名の来歴をはじめ、家紋やゆかりの武具(刀剣・甲冑)について紹介していきます。

戦国時代とは

戦国時代とは、室町幕府の後継者争いに端を発した1467年(応仁元年)の「応仁の乱」から、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で豊臣家を滅ぼした徳川家康が江戸幕府を開くまでの約140年間です。織田信長が足利義昭を追放し、室町幕府が倒れるまでを戦国時代とし、それ以降を安土桃山時代とする場合もあります。

室町幕府の権威が衰退し、各地で武将達の勢力が拡大して領土を奪い合い、全国へと派生していった戦国時代。国の守護大名を務めていた上杉家今川家などに対し、守護代や家臣だった相模の北条早雲や美濃の斎藤道三といった武将達が下克上を起こし、激しい合戦を繰り広げます。この武将達をのちに戦国大名と呼びました。

戦国大名には守護代から尾張を支配し、いち早く全国統一を目指した織田信長をはじめ、甲斐の武田信玄、信濃の真田家などが有名です。

戦国時代は何年から何年まで?

戦国時代は何年から何年まで?

戦国武将イラスト一覧
日本の歴史に登場する戦国武将をイラスト付きでご紹介します。
武将と歴史人の日本刀
武将・歴史人のエピソードや、関連のある日本刀をご紹介します。

北海道・東北地方の戦国大名

伊達家を繁栄に導いたと言われているのが、17代「伊達政宗」です。伊達政宗は、16代「伊達輝宗」(だててるむね)の長男として、出羽米沢城(山形県米沢市)に出生。幼少期に天然痘を患い、右目を失明したことから「独眼竜」と呼ばれています。伊達政宗が当主に就任したのち、畠山家(はたけやまけ)、蘆名家(あしなけ)、二階堂家(にかいどうけ)を滅ぼし、瞬く間に奥羽(現在の東北地方)中・南部を支配。そののち、豊臣秀吉に降伏し、「小田原征伐」から「関ヶ原の戦い」という主要な戦に参加し、数々の功績を挙げました。今回は、伊達政宗をはじめ、伊達家の歴史において重要な刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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津軽家は元々、大浦の姓を名乗っていました。姓を変えた背景には、従属していた南部家を裏切り、戦国大名へと成り上がったという歴史があります。その後、戦国時代から江戸時代にかけて、その名の通り津軽地方(青森県西部)を治めました。一族の波乱に満ちた歴史とともに、津軽家が愛用した刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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南部家は、鎌倉時代から東北地方の小国・奥州糠部郡(おうしゅうぬかのぶぐん:現在の青森県東部と岩手県北部)に居を構え、戦国時代から江戸時代の動乱期にかけて、勢力を拡大しました。そして、南部藩とも呼ばれる盛岡藩(岩手県中部から青森県東部)を治めるほどの地位を確立していきます。今回は鎌倉時代から明治時代まで、この地を統治してきた南部家の歴史や家臣をはじめ、南部家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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最上家は、南北朝時代に東北地方の出羽国最上郡山形(でわのくにもがみぐんやまがた:現在の山形県山形市)を支配した一族です。戦国時代末期には現在の山形県全域を治めるほどに躍進。そんな最上家を形作っていった歴史や、それを支えた家臣、最上家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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関東・甲信越地方の戦国大名

足利家との対立や、従属していた芳賀家(はがけ)の裏切りなど、様々なことに揺れ動きつつも、関東屈指の勇猛な武士団をつくり上げた宇都宮家。武勇に優れた者から歌人まで存在し、多才な一族でもありました。そんな個性的な宇都宮家の歴史を、刀剣や甲冑(鎧兜)とともにご紹介します。
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佐竹家は、平安時代から常陸国(ひたちのくに:現在の茨城県)や出羽国(でわのくに:現在の山形県と秋田県)を支配した一族です。常陸国を拠点としていた佐竹家が、いかにして群雄割拠の関東で一国を維持できたのか。なぜ江戸時代に出羽国に移ることになったのか。そんな佐竹家の歴史やそれを支えた家臣、佐竹家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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東信濃(長野県の東部)から始まり、のちに沼田(ぬまた)・松代(まつしろ)に分離しながら時代を駆けた真田家。10代続いた松代藩では財政の苦しさに直面することもありましたが、各当主が試行錯誤を繰り返し乗り越えました。そんな真田家の歴史や刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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武田家は、平安時代から戦国時代にかけて甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)を中心に勢力を広げた武家で、平安時代の武将「源信義」(みなもとののぶよし)が甲斐国で「武田信義」(たけだのぶよし)と名乗ったことが始まりです。 鎌倉時代に入り武田信義が甲斐国の守護に任命されると、武田信義の子「武田信光」(たけだのぶみつ)も甲斐国と安芸国(あきのくに:現在の広島県西部)の守護に任命され武田家の基礎を築いていくことになります。さらに武田家16代当主「武田信玄」(たけだしんげん)が、信濃国(しなののくに:現在の長野県)や駿河国(するがのくに:現在の静岡県中部・東部)などにも勢力を広げ、武田家は全盛期を迎えるのです。 しかし、武田家17代当主「武田勝頼」(たけだかつより)が長篠の戦いで「織田信長」に敗れると、武田家は急速に勢力を失っていきました。 そんな武田家の歴史とゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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戦国時代に、全国有数の名家としてその名を轟かせた北条家(ほうじょうけ)。鎌倉時代に幕府の執権として活躍した北条家の子孫ではありませんが、同じ桓武天皇(かんむてんのう)の末裔でした。北条家の姓の由来として、鎌倉幕府を支配していた北条家の影響力を利用することが目的だったとも言われています。戦国の世にあって親兄弟争うことなく関東を治めた、歴史ある一族です。そんな北条家の歴史とともに、彼らにゆかりのある刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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鎌倉時代に幕府の要職に就いていた結城家。一時は衰退の一途を辿りましたが、巧みに世を渡り生き残りました。戦国時代には、結城家が治める下総国(しもうさのくに:現在の千葉県北部と茨城県西部)を、北条家や上杉家などに侵攻されながらも勢力を維持。江戸時代以降は、松平と姓を改めました。そんな結城家の歴史とともに、彼らにゆかりのある刀剣・甲冑(鎧兜)、忠誠を尽くした武家をご紹介します。
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東海・北陸地方の戦国大名

明智家は、南北朝時代に興り戦国時代には戦国大名として活躍した一族です。「織田信長」に対する謀反「本能寺の変」を起こした「明智光秀」(あけちみつひで)でよく知られる明智家。今回は明智家の出自や、本能寺の変の裏側と主君に反旗を翻した明智光秀に付き従った家臣達、明智家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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南北朝時代から戦国時代にかけて、直接農民層を支配していた国人領主から戦国大名へ代々右肩上がりで成長していった朝倉家。しかし戦国時代には、織田信長に滅ぼされ、家名は途絶えてしまいました。そんな朝倉家の歴史とともに、ゆかりのある刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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今川家は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、「駿河国」(するがのくに:現在の静岡県大井川以東)や「遠江国」(とおとうみのくに:現在の静岡県大井川以西)などを領地とした大名です。室町時代に将軍家であった「足利家」の親族でもあり、将軍の継承権を有していた名家として、室町時代から守護(将軍から地域の監督権を許された役職)に任命され駿河国・遠江国を支配しました。今回は、今川家の歴史や今川家に仕えた家臣達、今川家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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上杉家は鎌倉時代に興った一族で、室町時代から戦国時代にかけて「関東管領」(かんとうかんれい:京都の室町幕府が関東の監視役に置いた役職)を世襲するなど、幕府の要職に就き栄華を誇りました。また、戦国時代には「越後の龍」として有名な「上杉謙信」が当主となり、勢力拡大を図る関東の「武田家」や「北条家」と幾度も戦を繰り広げます。今回は、上杉家の歴史や上杉家の中でも著名な当主達、上杉家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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織田家は、戦国時代の三英傑(さんえいけつ)のひとり「織田信長」に代表される戦国大名家です。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の戦国時代、「大うつけ」と呼ばれた織田信長がいかにして並み居る戦国大名の中から天下人となったのか。今回は、織田信長以前の織田家や織田信長が天下を取るまでの経緯、それを支えた家臣達、織田家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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岐阜・美濃(岐阜県南部)の地で2代に亘って下克上を成し遂げた斎藤家。美濃国守護家にうまく取り入ったのち、謀反を企ててその家を乗っ取るという、計算高く他を侵食していく姿に「美濃の蝮」(みののまむし)と呼ばれました。自分の野望を実現するためには手段を選ばない、そんな強い意志を持った斎藤家の歴史や刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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美濃国(現在の岐阜県)で11代に亘って、守護を務めた土岐家。室町時代には、「清和源氏」(せいわげんじ)の嫡流として栄華を誇りますが、戦国時代には下剋上の波にのまれ、没落してしまいます。土岐家として最後に美濃国守護を務めた「土岐頼芸」(ときよりのり)は、土岐家宗家を弟で常陸国(現在の茨城県)「江戸崎城」(えどさきじょう)の城主「土岐治頼」(ときはるより)に譲ることで、一族滅亡を免れたのです。土岐家の歴史、そして全国に分派した土岐一族についてもご紹介します。
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徳川家の歴代当主の中で特に有名なのが、戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開いた「徳川家康」。徳川家康は元々、「松平次郎三郎元信」(まつだいらじろうさぶろうもとのぶ)や「松平元康」(まつだいらもとやす)と松平姓を名乗っており、その松平家の祖先は豪族の家臣でした。今回は、徳川家(松平家)の歴史をはじめ、徳川家康と共に戦乱の世で活躍した家臣はもちろん、徳川家や家臣が愛用した刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。 これまで放送された大河ドラマ、及び今後放送予定の大河ドラマを一覧で見ることができます。 どうする家康は徳川家康の人生を描いたNHK大河ドラマ。キャストや登場する歴史人物、合戦などをご紹介します。
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下層階級から戦国大名へ成り上がり、さらに朝廷の最高職・太政大臣まで登りつめた「豊臣秀吉」を代表とする豊臣家。しかし、豊臣秀吉の死後は衰退の一途を辿り、2代「豊臣秀頼」(とよとみひでより)の代に滅びてしまいます。そこで今回は、豊臣秀吉の出世の道のりから豊臣家の滅亡までの歴史をはじめ、豊臣家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)や家臣をご紹介します。
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前田家は、尾張国(現在の愛知県名古屋市)を治めていた織田家の一家臣からはじまり、加賀藩主まで登りつめた前田利家(まえだとしいえ)を祖とする家系です。 「織田信長」(おだのぶなが)や「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)と親交を深めてきた前田家は、織田信長・豊臣秀吉の死後、「徳川家康」(とくがわいえやす)への謀反を企てるなど波乱万丈な一面も。「前田利家」から家督を継いだ「前田利長」(まえだとしなが)も領地の安泰を図り、加賀百万石の伝統文化を花開かせることとなりました。 また、4代目「前田光高」(まえだみつたか)からは、当時の徳川将軍の名前から一文字を取って名付けられています。そんな前田家の歴史や、前田家が愛用した刀剣や甲冑(鎧兜)をご覧下さい。
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関西地方の戦国大名

室町時代の名家「京極家」の一家臣であった浅井家でしたが、3代で天下に名を残す戦国大名に登りつめました。特に3代「浅井長政」(あざいながまさ)は、武勇と頭脳共に優れ、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)を統治。しかし、義を重んじたばかりに織田信長に滅ぼされてしまいます。そんな浅井家の歴史や刀剣や甲冑(鎧兜)をはじめ、浅井長政死後も浅井家の血を残していった三姉妹をご紹介します。
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室町幕府を開いた「足利尊氏」(あしかがたかうじ)を筆頭に、世の中を席巻した将軍足利家。しかし群雄割拠の戦国時代には、天下統一を夢見る大名達の争いに巻き込まれ、豊臣秀吉が太政大臣に就任した際に、将軍職から降ろされてしまいます。そんな足利家の歴史や、ゆかりのある刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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細川家は、鎌倉時代に興り江戸時代以降も名門として栄えた一族です。室町時代には、摂津国(せっつのくに:現在の大阪府北中部、兵庫県南東部)などを領地として、将軍に次ぐ役職である管領(かんれい)を担い斯波家(しばけ)・畠山家(はたけやまけ)と共に三管領のひとつに数えられる名家として君臨します。近畿から九州に移ってからも、肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の熊本藩(現在の熊本県の球磨・天草地方以外)を江戸時代の末期まで統治しました。今回はそんな細川家の出自や、ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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三好家は、四国地方から近畿地方に進出。「三好長慶」(みよしながよし)の代には、主君を倒して成り上がり、下克上を果たして、幕府の実権を握るまでになります。今回は、四国を領地としていた三好家が成り上がっていった経緯や、それを支えた家臣達、三好家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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中国・四国地方の戦国大名

尼子家は、戦国時代に山陰地方を中心として栄えた戦国大名です。戦国時代中期には、「尼子経久」(あまごつねひさ)や「尼子晴久」(あまごはるひさ)によって中国地方に勢力を広げた尼子家。今回はそんな尼子家の来歴や、尼子家に仕えた家臣達、尼子家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)などについてご紹介します。
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戦国時代という下克上の世を勝ち上がり、ついには天下人・豊臣秀吉に重用される地位まで上り詰めた宇喜多家。しかし、その華々しさから一転、天下分け目の合戦後は没落し、不遇の時を過ごすことになります。時にしたたかに、急成長を遂げながらも、時代の波にのまれていった宇喜多家の歴史と、ゆかりのある刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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長宗我部家は、戦国時代に土佐国(現在の高知県)を中心として四国地方で活躍した戦国大名です。「長宗我部元親」(ちょうそかべもとちか)の代には、「織田信長」や「豊臣秀吉」ら天下人とも戦いながら四国全土を統一し、長宗我部家の全盛期を築きました。今回はそんな長宗我部家の歴史とゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)、長宗我部家を支えた家臣についてご紹介します。
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毛利家は鎌倉時代から江戸時代まで続いた武家で、鎌倉幕府の御家人「大江季光」(おおえのすえみつ)が興しました。室町時代の後期には「三本の矢」で有名な「毛利元就」(もうりもとなり)が当主になり一気に領土を拡大します。 その後、毛利元就の孫である「毛利輝元」(もうりてるもと)は豊臣政権下で最高職となる「五大老」(ごたいろう)の座に就き、「関ヶ原の戦い」では豊臣側(西軍)の総大将になります。そして豊臣側(西軍)が敗れると、毛利家は領地の大部分を失ってしまうのでした。 徳川幕府の元、毛利家は長州藩を治めながら少しずつ力を蓄えます。江戸時代末期になると、毛利家が治めていた長州藩が徳川幕府と対立。倒幕を目指す薩摩藩と同盟を結び、近代日本の礎を築くことになります。 そんな毛利家の歴史や、ゆかりの刀剣・甲冑(鎧兜)を紹介します。
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九州・沖縄地方の戦国大名

大友家は鎌倉時代から戦国時代にかけて、豊後国(ぶんごのくに:現在の大分県の大部分)を中心に、豊後・筑後国(ぶんご・ちくごのくに:現在の福岡県南西部)など、九州北部を支配した戦国大名です。「大友義鎮」(おおともよししげ)が当主だった戦国時代初期には、九州のほぼ全域を領有し全盛期を迎えました。今回はそんな大友家の歴史とゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)、大友家を支えた家臣についてご紹介します。
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九州の守護大名の家臣にはじまり、戦国の世を生き抜いた立花家。一時は断絶かと思われるようなできごとがありながら、ついには大名まで上り詰めた、波乱万丈の立花家の歴史とその舞台で活躍した刀剣や甲冑(鎧兜)、立花家を支えた家臣をご紹介します。
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江戸時代に島津家が治めた薩摩藩(鹿児島県と宮崎県南西部)と言えば、幕末の志士を多数輩出したことで知られています。戦国時代きっての名門と称えられた島津家は、家の興りから江戸時代まで、九州南部を中心とした地域を支配していました。薩摩藩は政治や権力の中心から遠い地にありながら、屈指の雄藩(ゆうはん:勢力の強い藩のこと)として日本の歴史に大きな影響を与え続け、その力は近代日本の創出にも深くかかわっています。「関ヶ原の戦い」で敗退しながらも領地を存続し、「廃藩置県」が施行されるまで強大な藩であり続けた薩摩藩と島津家の歴史や、激動の舞台で活躍した刀剣や甲冑(鎧兜)をご紹介します。
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龍造寺家(りゅうぞうじけ)は、肥前国(ひぜんのくに:現在の佐賀県、長崎県)を中心として活躍した戦国大名です。「龍造寺隆信」(りゅうぞうじたかのぶ)の代には、九州北部一帯に勢力を拡げるなど最盛期を誇った龍造寺家。今回はそんな龍造寺家の来歴や、龍造寺家に仕えた家臣達、龍造寺家ゆかりの刀剣や甲冑(鎧兜)についてご紹介します。
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日本全国にある多くの城と、城に縁のある武将をご紹介。
日本の城と戦国武将
城を巧みに活用して戦を勝ち抜いた戦国武将をご紹介します。
武将の家紋一覧検索
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戦国時代は、有名な戦国大名達が鎬を削り、熾烈な合戦を繰り広げました。ここでは戦国大名が愛用した刀剣・甲冑、使用した家紋など、多岐にわたる情報を紹介。戦国大名の魅力や彼らを支えてきた家臣の来歴から、激動の戦国時代の一面を知ることで、より歴史の面白さを再確認できます。
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