会津藩の陣が置かれたのは佐取山(大久保山:新潟県五泉市)と陣ヶ峰(新潟県加茂市)でした。当時、敵の動きを知るには目で確認する以外になく、高台にあり眺望の利く地を選んだのです。このとき会津藩の白虎寄合二番隊62人は、佐取山から約1,000m離れた佐取集落に待機を命じられています。
佐取山から阿賀野川を挟んだ対岸で激しい戦闘が開始されたのは8月10日の早朝でした。最新鋭の火器を有する新政府軍の前に、会津軍は劣勢。すかさず加勢するため、白虎寄合二番隊らは対岸へと向かいました。
しかし、新政府軍はこの動きに迅速な対応を見せます。佐取山の会津軍が手薄になったのを見計らい、約80名が佐取山のふもとに上陸。2つの部隊に再編成すると、一方は陣ヶ峰、もう一方は佐取山への方向に迂回をはじめたのです。
これによって会津軍は挟撃を受けるかたちとなり、たちまち激戦となりました。待機場所から戦況を見守っていた白虎寄合二番隊62名も、ただちに佐取山会津藩陣に向けて急行。新政府軍に戦いを挑み、一度は敵を撃退する活躍を見せましたが、徐々に押されはじめます。数にまさる新政府軍が、続々と大軍を投入してきたためです。
それでも阿賀野川岸での抵抗を続けますが、7名の戦死者を出してあえなく撤退。新政府軍の会津領侵入を許してしまったのでした。やがて戦場は鶴ヶ城(福島県会津若松市)の城下にも及び、佐取の戦いから約3ヵ月後、会津藩の降伏によって「会津戦争」は終結したのです。
白虎隊ゆかりの地として知られる「佐取古戦場の碑」は、JR磐越西線咲花駅前にあります。
「戊辰之役 佐取古戦場」と「戊辰殉難追悼碑」の2つからなり、石版には佐取の戦いの様子などが刻まれています。一帯は、白虎寄合二番隊が待機していた地です。周辺には咲花温泉の湯宿が点在。
湯治と併せて訪ねるのがおすすめです。
また春になると咲花駅周辺の桜並木が色付き、趣を添えてくれます。
佐取古戦場の碑から西へ約3分歩くと、佐取の戦いゆかりの古刹「長徳寺」(ちょうとくじ)が見えてきます。境内には、壮絶な戦死を遂げた白虎寄合二番隊士「星勇八」(ほしゆうはち)の墓が鎮座。若くして散った悲劇を今に伝えています。
寺院自体は戊辰戦争の際に焼失してしまい、現在建っているお堂は1879年(明治12年)に再建されたものです。佐取古戦場の碑や阿賀野川の河畔風景とともに巡り、往時を偲ぶ歴史散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。