明治時代の重要用語

四民平等 
/ホームメイト

明治新政府は、1871年(明治4年)年頃 から社会制度の改革に着手。1872年(明治5年)には「壬申戸籍」(じんしんこせき)という戸籍が編成され、新しい身分制度ができあがりました。これにより、江戸時代に農民・商人・町人とされた身分を平民として、苗字を名乗ることが許され、華族(旧公家・大名)・士族(旧武士)との婚姻や、移転と職業選択の自由までも認められるようになったのです。これらをいわゆる「四民平等」(しみんびょうどう)の世への転換と呼んでいます。

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明治新政府は、1871年(明治4年)年頃 から社会制度の改革に着手。1872年(明治5年)には「壬申戸籍」(じんしんこせき)という戸籍が編成され、新しい身分制度ができあがりました。これにより、江戸時代に農民・商人・町人とされた身分を平民として、苗字を名乗ることが許され、華族(旧公家・大名)・士族(旧武士)との婚姻や、移転と職業選択の自由までも認められるようになったのです。これらをいわゆる「四民平等」(しみんびょうどう)の世への転換と呼んでいます。

四民平等成立の背景

岩倉使節団にはもうひとつの目的があった

大久保利通

大久保利通

明治時代に入り、四民平等への動きが思いのほか早く展開したのには、1871年(明治4年)にアメリカ・ヨーロッパに派遣された「岩倉使節団」(いわくらしせつだん)と、その留守中に政権を担った「留守政府」(るすせいふ)との関係性が大きく影響したと考えられます。

明治政府は、右大臣「岩倉具視」(いわくらともみ)を大使とし、「木戸孝允」(きどたかよし)・「大久保利通」(おおくぼとしみち)・「伊藤博文」(いとうひろぶみ)といった政府首脳に率いられた、約50名にも及ぶ「岩倉使節団」をアメリカ・ヨーロッパへ派遣しました。

岩倉使節団の当初の目的は、1854年(嘉永7年)の「日米和親条約」から1869年(明治2年)の「日墺修好通商航海条約」(にちおうしゅうこうつうしょうこうかいじょうやく)に至る諸条約が、日本にとって不平等な条約であったことから、その条約改正を本格的に進めようと画策したもの。しかし、事前調査で各国の条約改正への反応は非常に冷たく、交渉には時間がかかることが判明。そこで、将来的な条約改正に向け、まずは各国と親善を図る目的へと変更されました。

では、なぜこの段階で政府首脳が使節団に選出されたのでしょうか。その理由は、もともと明治維新の原動力となったのが、薩摩藩(さつまはん:現在の鹿児島県鹿児島市)・長州藩(ちょうしゅうはん:現在の山口県萩市)・土佐藩(とさはん:現在の高知県高知市)・肥前藩(ひぜんはん:現在の佐賀県佐賀市)の下級武士達だったことにあります。

明治政府とはいっても、基本的にはこの4藩の寄り合い所帯であり、明治政府内部の人事ルールなどもなく、すべて実力次第。また、4藩は何かにつけて主導権争いをし、政策が滞ることが度々あったのです。このことから、岩倉具視と大久保利通は、岩倉使節団としての主目的とは別の目的で、あえて大規模な使節団を結成することを画策。

なかでも、長州藩・木戸孝允を大久保利通は熱心に誘います。木戸孝允は明治政府の方針を決定する際、何かと原則原理を持ち出しては反対していました。その木戸孝允を海外に連れ出すことで、明治政府の政策決定をスピーディにしたいという意図があったと考えられています。

優秀だった留守政府

大久保利通の目論見は、見事に成功。明治政府の政府首脳が外遊に出たことで、残されたメンバーは留守政府と呼ばれます。その主要メンバーは、太政大臣「三条実美」(さんじょうさねとみ)を首班(しゅはん:リーダー)とする、「西郷隆盛」(さいごうたかもり)・「大隈重信」(おおくましげのぶ)・「江藤新平」(えとうしんぺい)・「板垣退助」(いたがきたいすけ)、そして「井上馨」(いのうえかおる)の6名。

彼ら6名は、わずか2年で大きな成果を上げます。留守政府は、徴兵令(ちょうへいれい:国民男子を一定期間、兵役に就かせる制度)・学制(がくせい:学校制度・教員養成に関する基本的な規定)の施行・裁判所の整備・改暦などとともに、四民平等の成立にも精力的に取り組み、実現させたのです。

四民平等と解放令

解放令とは

さらに、1871年(明治4年)には、「解放令」(かいほうれい)が発布されています。この法令は、江戸時代に農工商の身分以外の、被差別身分とされてきた人々と平民を同等にするというもの。しかし、諸外国への体裁、また民間からの建議(けんぎ:政府へ意見を出すこと)などもあって発布され、その意義は大きかったものの十分な施策は行われなかったのです。そのため、結婚・就職などでの社会的差別が、その後も長く続きました。

また従来、被差別身分のみ許されていた職種の営業独占権がなくなったり、兵役・教育の義務が加わったりしたことで、被差別身分出身者の生活はかえって苦しくなったのです。

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