源頼朝が開いた日本初の武家政権「鎌倉幕府」。源頼朝が将軍だった頃は将軍の独裁体制でしたが、源頼朝の死後、将軍の権威はなくなっていき、北条氏が政治の中心になりました。鎌倉幕府2代将軍・源頼家は実質的に権力を13人の御家人に奪われ、3代将軍・源実朝の頃には北条氏が執権となり、政治の実権を握ります。また、4代将軍・藤原頼経からは源氏の嫡流でもなくなりました。
「鎌倉9代将軍一覧」では、初代将軍・源頼朝から9代将軍・守邦親王まで、鎌倉幕府の将軍を一覧でご紹介。気になる将軍をクリックすると、その将軍の人生やエピソード、当時の時代背景などがご覧頂けます。教科書にないようなことまで網羅しているので、鎌倉時代を掘り下げたい方におすすめです。
西暦(和暦) | 出来事 |
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1185年(元暦2年/ 文治元年) |
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1189年(文治5年) |
鎌倉政権と奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の間で奥州合戦が勃発。源頼朝が藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を討ち、奥州藤原氏が滅亡する。
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1192年(建久3年) |
源頼朝が征夷大将軍に就任する。
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1199年(建久10年/ 正治元年) |
1月、源頼朝が亡くなり、嫡男の源頼家(みなもとのよりいえ)が家督を継承。2代将軍の座に就く。
一説には、源頼朝の死因は落馬と言われているが、真相は定かにはなっていない。 |
1203年(建仁3年) | |
1204年(建仁4年/ 元久元年) |
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1205年(元久2年) |
北条時政が、平賀朝雅(ひらがともまさ)の将軍擁立に失敗し、出家する(牧氏の変/牧氏事件)。
北条義時(ほうじょうよしとき)が2代執権に就任する。 |
1219年(建保7年/ 承久元年) |
源実朝が源頼家の子・公暁(くぎょう/こうきょう)に暗殺される。
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1221年(承久3年) | |
1224年(貞応3年/ 元仁元年) |
北条泰時(ほうじょうやすとき)が3代執権に就任する。
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1225年(元仁2年/ 嘉禄元年) |
源頼朝の正室・北条政子が亡くなる。
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1232年(寛喜4年/ 貞永元年) |
北条泰時により、御成敗式目(貞永式目)が制定される。
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1246年(寛元4年) |
北条時頼(ほうじょうときより)が5代執権に就任。
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1268年(文永5年) |
北条時宗(ほうじょうときむね)が8代執権に就任。
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1274年(文永11年) |
モンゴル帝国(元)の軍勢が、日本へ襲来。博多付近へ上陸するも、暴風のために敗退する(文永の役)。
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1281年(弘安4年) |
元軍が再度来襲するが、幕府軍がほとんど全滅させる(弘安の役)。1度目と合わせて「元寇」(げんこう)と呼ばれる。
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1297年(永仁5年) |
9代執権・北条貞時(ほうじょうさだとき)により、永仁の徳政令が発される。
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1318年(文保2年) |
後醍醐天皇が即位する。
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1321年(元応3年/ 元亨元年) |
後醍醐天皇によって院政が廃止され、親政が開始される。
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1324年(元亨4年/ 正中元年) |
後醍醐天皇の倒幕計画が事前に発覚する(正中の変)。
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1331年(元徳3年/ 元弘元年) |
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1332年(元徳4年/ 元弘2年) |
後醍醐天皇が隠岐に配流される。
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1333年(正慶2年/ 元弘3年) |