無鑑査刀匠の称号を持つ刀工「松田次泰」の生い立ちや、刀剣に関する功績、そして作刀した刀剣などについてご紹介します。特定の展覧会や団体・個人において、過去の実績をもとに「審査・鑑査」を必要とせずに作品の出品が認められた刀匠である無鑑査刀匠。刀剣における「無鑑査」は「公益財団法人日本美術刀剣保存協会」が開催するコンクールにおいて複数以上、特賞を受賞することで認定されるため、刀匠としては最高位に位置付けされます。
松田次泰(まつだつぐやす 本名:周二)は、1948年(昭和23年)に北海道で生まれました。大学卒業後、刀匠の道に惹かれた松田次泰は、1974年(昭和49年)、長野県の「高橋次平」(たかはしつぐひら)に入門します。師匠の高橋次平は、人間国宝である刀匠「宮入昭平」(みやいりあきひら)の一番弟子。昔気質の大変厳しい人でした。
最初の4年間はひたすら炭切り(焼入れに必要な炭を均等な大きさに切り分ける作業)に励むという忍耐のいる修行を乗り越え、6年目にして初めて日本刀を作らせてもらうことができたのです。その後、文化庁より作刀許可を受け、1981年(昭和56年)に千葉県に鍛刀場を開設し、刀匠として独立します。
刀匠として歩み始めた松田次泰は、その年の新作刀展にて努力賞を受賞。以後優秀賞を5回受賞するなど刀匠としての評価を高めていきます。一貫して「古備前派」(こびぜんは:備前伝の始まりとなった平安時代末期から鎌倉時代初期の刀匠の総称)の古刀の再現を目標としてきた松田次泰は、1996年(平成8年)鎌倉時代の古刀の再現に見事成功。その1振は、「恐らく800年ぶりにできた鎌倉の技術だろう」と鑑定家に言わしめたほどの逸品で、その年の日本美術刀剣保存協会会長賞を受賞しました。
刀匠としての地位を確立した松田次泰は、1999年(平成11年)英国刀剣会に招聘され、ロンドンにて個展を開催するなど、日本だけでなく世界的にその高い技術が認められていったのです。
2006年(平成18年)、高松宮記念賞を獲得し、2009年(平成21年)にはその功績が認められ、人間国宝に次ぐ名誉である無鑑査に認定されます。他にも製鉄のノウハウのある企業「JFEスチール」(旧川崎製鉄)から援助を受けて、緻密なデータ計測や化学的考察も取り入れた作刀技術の研究に真摯に取り組み、常に最新の科学技術を活用して古刀の再現に精力を注いでいるのです。
その後も、大相撲の横綱・白鵬関の土俵入り太刀の作刀を手掛けるなど、多岐にわたる活躍を重ねた松田次泰は、2015年(平成27年)には千葉県の無形文化財保持者に認定されました。