無鑑査刀匠の称号を持つ刀工「高橋次平」の生い立ちや、刀剣に関する功績、そして作刀した刀剣などについてご紹介します。特定の展覧会や団体・個人において、過去の実績をもとに「審査・鑑査」を必要とせずに作品の出品が認められた刀匠である無鑑査刀匠。刀剣における「無鑑査」は「公益財団法人日本美術刀剣保存協会」が開催するコンクールにおいて複数以上、特賞を受賞することで認定されるため、刀匠としては最高位に位置付けされます。
「高橋次平」(たかはしつぐひら)は、1927年(昭和2年)、長野県に生まれました。戦後間もない1947年(昭和22年)、20歳の時に重要無形文化財保持者である「宮入行平」(みやいりゆきひら)に師事。1959年(昭和34年)に作刀承認を受け、初出品した第5回作刀技術発表会にて努力賞を受賞しています。
その後、1965年(昭和40年)の第1回新作名刀展での奨励賞を皮切りに、高松宮賞2回、文化庁長官賞、薫山賞、日本美術刀剣保存協会会長賞3回、優秀賞2回、奨励賞2回、努力賞5回などを受賞し、1989年(平成元年)に無鑑査刀匠に認定。また1990年(平成2年)には、長野県無形文化財にも認定されています。
1969年(昭和44年)に独立するまで、20年以上に亘って行平の一番弟子としてその仕事を支えた次平は、作風においても豪壮堅実な相州伝をもとにした行平の持ち味を最も強く継承しているとされ、日本刀としてはかなりの長さとなる2尺5寸(約95cm)の太刀から短刀まで多様な作品を残すとともに、「松田次泰」(まつだつぐやす)の他、多くの後進の育成にも心血を注ぎました。
1996年(平成8年)に69歳で亡くなったのちも、歴史に大きな功績を残した刀匠として、現代まで語り継がれています。