本面頬(めんぽう)は、昭和時代に甲冑師の「明珍宗恭」(みょうちんむねゆき)氏が制作した「半首」(はつぶり)。半首は、敵の攻撃から顔面を保護する面頬のなかでは最古の形式で、平安時代から鎌倉時代まで使用されました。額から両頬にかけて覆う形状が特徴的です。
半首は当時の作品が現存せず、江戸時代中期以降に「復古調の甲冑」が流行するなか、絵巻物での描写などをもとに復元制作が行われました。
本半首も、箱の蓋裏書に「平治合戦絵巻所見」とあるように、平治の乱を描いた「平治物語絵巻」(へいじものがたりえまき)に見える数々の半首を参考にして作られた物です。本半首の下地は煉革(ねりかわ)で、表面は黒漆塗で仕上げ、頭に装着するための韋紐(かわひも)を取り付けます。
本半首の作者である明珍宗恭氏は、昭和時代を代表する甲冑師のひとり。国宝や重要文化財に指定された甲冑の修理や模造を多く行った他、1950年代には「黒澤明」(くろさわあきら)監督の映画「七人の侍」や「蜘蛛巣城」で使う衣装甲冑の制作を担当し、その高い芸術性を支えました。七人の侍でも、「三船敏郎」(みふねとしろう)演じる「菊千代」(きくちよ)が、本半首とよく似た半首を装備する場面があります。