本甲冑(鎧兜)は「烏帽子形兜」(えぼしなりかぶと)といって、鉢が丸形ではなく真っ直ぐ上に伸びる形状の兜を持つ甲冑です。この形が、「烏帽子」(貴族などが使用した被り物)を想起させるためこのように呼ばれました。そして、兜鉢(かぶとばち)の後正中(うしろしょうちゅう)には「因州住兼光」(いんしゅうじゅうかねみつ:因州は現在の鳥取県東部)と銘が刻まれていることから、江戸時代に活躍した甲冑師の一派「明珍派」(みょうちんは)の「兼光」作であると考えられています。
兜正面は、鹿角に見立てた木製の脇立と、金箔押しの日輪形の前立が、威厳のある風格を醸し出しています。兜鉢後頭部の上辺には、左右に穴が設けられ、鍍金(めっき)と鍍銀(とぎん)の座金(ざがね)を付けて「太陽」と「月」を表現。さらに穴の周辺には金箔彩色の金雲が施され、見えない箇所にも手が加えられており、兜に彩りを添えています。
「二枚胴」(にまいどう)とは、前後を2枚の板で合わせた物で、右側に蝶番(ちょうつがい:丁番、ヒンジとも呼ばれる)があり、左側で着脱する胴のことです。本甲冑(鎧兜)の胴は、胸部に伸縮性を持たせるため、紺色の韋糸による毛引威(けびきおどし)となっており、山道頭(やまみちがしら:板札の上端が山道のように緩く湾曲したもの)の板札が鋲で打たれています。同じように、草摺(くさずり)と袖にも山道頭の板札(いたざね)を活用。全体的に経年劣化が少なく、傷みがあまり見られない甲冑(鎧兜)となっています。