当具足は、江戸時代後期の駿河国(するがのくに:現在の静岡県)の大名で、小島藩7代藩主「松平信友」(まつだいらのぶとも)が所用したものと伝わっている甲冑(鎧兜)です。胴や兜の他、籠手(こて)や袖、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)など、揃いの小具足(こぐそく :甲冑[かっちゅう]における鎧、兜、袖以外の構成要素)が附属していることから「当世具足」(とうせいぐそく)に分類されます。
胴は古式の丸胴で、胸板(むないた)や押付板(おしつけのいた)などの各板と肩上(わだかみ)に絵韋(えがわ)が貼られました。また、化粧板(けしょうのいた)には菊枝透座金(きくえだすかしざがね)の八双金物(はっそうかなもの)を、胸の左右には素銅菊花透の乳鐶(ちかん)、背には枝菊透座金(しぎくすかしざがね)の総角付の鐶(あげまきつきのかん)が具えられた非常に凝った造りの豪華な丸胴です。三具(さんぐ:籠手・佩楯・臑当の3つ)は、草花文錦で統一されており、甲冑(鎧兜)には陣羽織と袴が附属しています。
兜は「六十二間筋兜」(ろくじゅうにげんすじかぶと)で、月輪(がちりん)の前立(まえだて)が附属。月輪は「不死」や「再生」の象徴と考えられていたことから、南北朝時代以降多くの武士達に好まれたモチーフでした。錣(しころ)の最下段に見られる二段菱錣は、喉輪(のどわ)の垂(たれ)や草摺(くさずり)の最下段、袖の最下段と同じ意匠で統一されています。