当具足「鉄黒漆塗本小札萌黄糸威二枚胴具足」(てつくろうるしぬりほんこざねもえぎいとおどしにまいどうぐそく)は、1765年(明和2年)に江戸幕府10代将軍「徳川家治」(とくがわいえはる)より出羽国(現在の秋田県・山形県)米沢藩の8代藩主「上杉重定」(うえすぎしげさだ)が賜った上杉家伝来の「童具足」(わらべぐそく)です。
童具足とは、一般的に生まれたばかりの子供の「産着鎧」(うぶぎよろい)や鎧着初め、元服の際に用いられる大名の子供が儀礼用に用いる甲冑(鎧兜)のこと。
資料によると、当具足が上杉家に下賜された1765年(明和2年)に江戸城(東京都千代田区)西の丸にて、徳川家治の長男「徳川家基」(とくがわいえもと)に諱が与えられた記録が存在することから、この儀礼に関係する具足ではないかとも考えられます。
当具足の兜は「大黒頭巾形兜」(だいこくずきんなりかぶと)ですが、江戸幕府初代将軍「徳川家康」所蔵の「伊予札黒糸縅胴丸具足」(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく:通称歯朶具足)の兜も同様の形。そのため、当具足の兜も縁起を担ぎ意図的に初代将軍の兜に似せて制作されたと考えられているのです。なお、鑑定により兜のみ現代作ということが分かっています。