「鉄切箔散蒔絵仏二枚胴童具足」は、福岡藩(ふくおかはん:現在の福岡県福岡市)四代藩主、黒田綱政(くろだつなまさ)の長男として生まれた黒田吉之(くろだよしゆき)の元服甲冑。473,000余石の福岡藩主嫡子にふさわしい、贅を尽くした華やかな当世具足で、覆輪(ふくりん)の毛彫り(けぼり)も緻密な細工が施されています。
黒田吉之は天和2年(1682年)6月に江戸で出生し、幼少期は左京という呼び名でした。元禄4年(1691年)2月、10歳のときに5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)に拝謁し、徳川綱吉から「吉」の一字を賜り、「吉之」(よしゆき)と改名。本甲冑(鎧兜)はその頃に作られたと考えられます。
黒田吉之は生まれつき病弱で喘息を患っていたようで、宝永7年(1710年)7月に体調を崩して29歳で早世しており、家督を継ぐことができませんでした。
本甲冑(鎧兜)は、黒田家の2つの家紋(かもん)、「藤巴紋」(ふじどもえもん)と「黒餅紋」(こくもちもん)の金具を随所に散らしています。藤巴紋は、黒田家が播磨国(現在の兵庫県)小寺家に仕えていたときに下賜された家紋で、「黒田藤」と呼ばれています。
もうひとつの家紋黒餅紋は、竹中半兵衛(たけなかはんべえ)と同じ家紋です。福岡藩初代藩主・黒田長政(くろだながまさ)が、竹中半兵衛に敬意を表して、黒餅紋を家紋としました。黒田家の甲冑(鎧兜)は黒田官兵衛(くろだかんべえ)や黒田長政の物に倣い、袖を付けない物が多く本甲冑(鎧兜)も同様になります。