火縄式銃砲
しゃてきづつ・おざしきてっぽう くにともひさみつさく 射的筒・御座敷鉄砲 國友久光作/ホームメイト
本火縄銃の全長は42.8cmで、一般的なサイズの火縄銃をそのまま縮小した「射的筒」(しゃてきづつ)または「御座敷鉄砲」(おざしきてっぽう)と呼ばれる物。銃身の口径も8mmで、弾丸径8.52mmの1匁(もんめ)玉よりも小さい弾丸を使用したと思われます。銃身には作者である「國友久光」の銘が切られます。
1543年(天文12年)の鉄砲伝来以降、火縄銃は日本全国の武将が求めたため急速に広まり、多くの戦いで使われました。江戸幕府による支配が完成して戦いがなくなると火縄銃の需要は低下しますが、治安維持や害獣対策に必要だったことから作られ続け、特に近江国坂田郡国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)で活動した国友鍛冶は、性能の優れた火縄銃を各地へ送り出し、人気を博しました。
また、銃砲を扱う武術である「砲術」(ほうじゅつ)で、各流派が様々な形態の銃砲を考案すると、国友鍛冶もそれらに応じて多様な銃を制作したのです。本銃のような小型の火縄銃は、射的の練習や競技のために作られたと考えられ、普通の火縄銃と同様に作動します。