輸入古式西洋銃
うえすとりー・りちゃーずごそうかんうちしききへいじゅう(いぎりす) ウエストリー・リチャーズ後装管打式騎兵銃(イギリス) 附 銃弾6点/ホームメイト
本鉄砲を製造した「ウエストリー・リチャーズ社」は、1812年(文化9年)にイングランドの工業都市・バーミンガムで設立された銃砲製造会社です。同社は1840年(天保11年)、「アルバート皇子」を皮切りに、「ビクトリア女王」や「ジョージ5世」などの王族から「ロイヤルワラント」(王室御用達)の称号を与えられた由緒正しい会社です。
イギリス政府では1864年(文久4年/元治元年)より、弾丸を銃身の前端から込める「前装式」の「エンフィールド銃」を「後装式」に改造するための研究が重ねられていました。その結果、1866年(慶応2年)に、改良が容易で安価である新式の「スナイドル銃」が発明され、イギリス陸軍で採用されることに。その短い過渡期に作られていたために生産数が少なく、本鉄砲は、資料的価値の高い貴重な1挺だと言えるのです。
ウエストリー・リチャーズ社製の後装管打式ライフル銃は、「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)の初戦となった「鳥羽・伏見の戦い」(とば・ふしみのたたかい)において、「薩摩藩」(現在の鹿児島県)藩士の「桐野利秋」(きりのとしあき)が用いていたとされています。また、戊辰戦争の一連の戦いを通じて、「長州藩」(現在の山口県)の主力武器としても活躍しました。
本鉄砲の大きな特徴は、銃身と遊底(ゆうてい:銃の基部にある部位。薬室への弾薬の装填や、発射後の空薬莢[からやっきょう]の排除などを行う)が蝶番を用いて上部で結合され、遊底の後端にある取っ手を持ち上げて装弾する、複雑な構造であること。そのため高価ではありましたが、本鉄砲と同様のウエストリー・リチャーズ社製後装管打式ライフル銃は、その性能の良さが名刀の代名詞である「正宗」(まさむね)にも匹敵すると評され、「銃の正宗」の異名を取っています。