火縄式銃砲
ひなわじゅう いちのせきしんなかむらよしざえもんさだよし かおう ぶんせいはちねん 火縄銃 一関臣中村善左衛門貞善 花押 文政八年/ホームメイト
本火縄銃の銘に切られている「一関」(いちのせき)とは、現在の岩手県一関市にあたる「一関藩」のこと。江戸時代に仙台藩(現在の宮城県)の支藩となった一関藩は、1868年(慶応4年/明治元年)の「戊辰戦争」中に成立した「奥羽越列藩同盟」(おううえつれっぱんどうめい)に加盟。仙台藩など東北諸藩と共に新政府軍と戦闘を繰り広げますが、最終的には降伏。戦後も、旧奥羽列藩同盟に属していた藩の鉄砲鍛冶達は、本火縄銃の銘にある「一関」のように、意識的に自身が仕えていた藩の地名を切っていました。
本火縄銃の銃身は、丸に表四角型になっています。その先端に設けられた照準装置である「先目当」(さきめあて)は三角型、同じく手前側の「元目当」(もとめあて:別称[前目当])は「千切り透」(ちぎりすかし)の筋割が彫り込まれているのです。
本火縄銃は火ばさみが大きく、その取付け穴から火皿までの間隔が長い部分が最大の特徴。その形状から「馬面」と呼ばれ、これによって火縄を保持する部位が長くなります。この馬面があることで、射撃の際に発生する火薬の燃焼ガスにより、火縄が外れるのを防止できるのです。また、からくり部分を留める鋲の裏側には、他の仙台の鉄砲にもよく見られる分銅紋座金が多用されており、「丸に下がり藤」の家紋が入れられています。