火縄式銃砲
ひなわじゅう せっしゅうじゅうつたやきはちろうさく 火縄銃 摂州住蔦谷喜八郎作/ホームメイト
本火縄銃を制作した「蔦谷喜八郎」(つたやきはちろう)は、その銘からも分かる通り、摂州堺(現在の大阪府堺市)で活躍した鉄砲鍛冶です。堺は、1543年(天文12年)にポルトガルから鹿児島の種子島へ鉄砲が伝来して以降、日本における火縄銃の主要生産地となった地域。同地の鉄砲鍛冶が手掛けた火縄銃は「堺筒」(さかいづつ)と呼ばれ、細めの銃身と華やかな装飾が大きな特徴です。
本火縄銃の銃身は八角形で、銃床部分に嵌め込まれた飾り金具は、真鍮板(しんちゅうばん)で作られています。また、「先目当」(さきめあて:銃身の前端側に設置された照準装置)は三角形で、「元目当」(もとめあて:銃身の手前側にある照準装置。別名[前目当])は片袖の筋入りとなっており、その様々な部位において堺筒の特色が見られる逸品です。