火縄式銃砲
せっしゅうじゅう しまたにきはちろうどうさん こうふ(ごうふ)おうくにとも しょうかくしげたか 火縄銃 摂州住島谷喜八郎道三 江府王國友庄角重孝/ホームメイト
本火縄銃の銘には、摂州堺(現在の大阪府堺市)の「島谷喜八郎道三」(しまたにきはちろうどうさん)、及び江州國友/国友(ごうしゅうくにとも:現在の滋賀県長浜市)の「庄角重孝」(しょうかくしげたか)と称する鉄砲鍛冶2名の名前が切られています。これは、本火縄銃が両者の合作によって作られたことを意味しており、現代にまで伝わる火縄銃のなかでも非常に貴重な1挺です。堺と国友は鉄砲の生産地として繁栄し、高い技術を有する鉄砲鍛冶が多くいました。
本火縄銃の銃身は丸表一角型となっており、銃口部は、芥子(けし)の実のように丸みを帯びた形状であるのが特徴。銃身の前端部分にある照準装置の「先目当」(さきめあて)は「段見型」(たんけんがた)となり、同様に手前側にある「元目当」(もとめあて:別称[前目当])の形状は「千切り透」(ちぎりすかし)です。
また本火縄銃は、その銃身と火ぶたに「十七」と番号が振られていることから、軍用の「番筒」(ばんづつ:足軽に支給された銃のこと)として使用されていたことが推測できます。