輸入古式西洋銃
すぺんさーM1865かーびんきへいじゅう(きょうと○こくいん) スペンサーM1865カービン騎兵銃(京都○刻印)/ホームメイト
本鉄砲は、京都の旧家所有の蔵で発見された「スペンサー銃」です。1860年(安政7年/万延元年)にアメリカで発明されたスペンサー銃は、1861年(万延2年/文久元年)に勃発したアメリカの内戦「南北戦争」において北軍の軍備に採用され、特に騎兵隊で多用されていました。日本へは幕末期に伝わり、その輸入は佐賀藩(現在の佐賀県:別称[肥前藩])など全国の諸藩がそれぞれで行っていました。
「戊辰戦争」においてスペンサー銃は、薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)を中心とした「新政府軍」のみならず、「旧幕府軍」に属した「奥羽越列藩同盟」(おううえつれっぱんどうめい)の庄内藩(現在の山形県鶴岡市周辺)や上山藩(かみのやまはん:現在の山形県上山市周辺)など、「佐幕派」(さばくは:幕末、討幕や尊王攘夷に反対し、幕府を支持した党派)の陣営でも使用されています。
銃身の後部から弾丸と装薬を込める「後装式」(こうそうしき)であり、7発連射ができるスペンサー銃は「元込め7連発銃」と呼ばれ、当時の日本国内における最新兵器として恐れられていました。本鉄砲の銃身に打たれた「京都〇 二千百二十八」の文字は、「壬申刻印」(じんしんこくいん)と称する、1872年(明治5年)から政府が実施した銃砲調査の登録番号です。これは本鉄砲が、当時京都にあった証しになっています。