輸入古式西洋銃
りんどなーきへいじゅう しょきがた(さいたまけんこくいん) リンドナー騎兵銃 初期型(埼玉縣刻印)/ホームメイト
本鉄砲は「南北戦争」直前であった1859年(安政6年)に、アメリカの「エドワード・リンドナー」が取得した特許に基づいて、「アモスケーグ社」が製造した騎兵用の小銃です。リンドナー騎兵銃は南北戦争中、北軍が用いる軍備のひとつとして採用されましたが、実際に納入されたのは1861年(万延2年/文久元年)までに生産されたわずか892挺(ちょう)のみ。現存数の少ない騎兵銃です。
リンドナー騎兵銃が日本に入って来たのは、幕末期に開国を求めてアメリカから黒船で来航した「マシュー・ペリー」により、江戸幕府へ贈られたことがきっかけ。このとき、世界で初めて量産された、手元から弾を込める「後装式」(こうそうしき)軍用銃の「ホール銃」も同時に江戸幕府へ献上されています。ペリーは、リンドナー騎兵銃やホール銃といった最新鋭の鉄砲を贈ることで、日本にとってのアメリカが外交面において、どれほどの脅威になり得るのかをアピールしたと推測されているのです。
本鉄砲の弾薬は「ペーパー・カートリッジ」と呼ばれる紙製の薬莢が用いられ、その点火方式は、「パーカッション・ロック式」(雷管式[らいかんしき]、または管打式[かんうちしき])となっています。
「刀剣ワールド財団」所蔵の本鉄砲は、リンドナー騎兵銃の初期型モデルであり、その大きな特徴は、小銃などの照準装置である「リア・サイト」、いわゆる「照門」(しょうもん)が取り付けられている場所です。リア・サイトは通常、銃身の後部上方にありますが、本鉄砲のようなリンドナー騎兵銃は、その部分が開くようになっています。そのため本鉄砲では、銃身の末端に位置する「アッパー・タング」と言う留め具の上に、リア・サイトが設けられているのです。