火縄式銃砲
じゅうもんめさむらいづつ ごうしゅうくにともときはるのぶよし(なるせけでんらい) 十匁士筒 江州国友齋治信芳(成瀬家伝来)/ホームメイト
「江州国友齋治信芳」(ごうしゅうくにともときはるのぶよし)の銘がある火縄銃の「十匁士筒」(じゅうもんめさむらいづつ)で、「犬山城」(愛知県犬山市)の城主を務めた武家の名門「犬山成瀬家」に伝来した1挺です。
「十匁」とは使用される弾丸の重さを指し、約37.5gになります。この十匁筒は「士筒」(侍筒とも)と言い、弾丸の重量による威力は敵の具足など簡単に貫通できるほど強力。十匁士筒は、非常に高価であったことと、発射時の反動が大きく扱いが難しかったことから、財力があり、かつ手練れである武士しか使用できなかったため、士筒と呼ばれるようになりました。
戦国時代から江戸時代にかけての武将「成瀬正成」(なるせまさなり)は、幼少より小姓として「徳川家康」の側近くに仕え、のちに初代尾張藩主「徳川義直」(とくがわよしなお)の附家老(つけがろう:将軍より直接命を受けて附属された家老)となります。
その後の1617年(元和3年)に2代将軍「徳川秀忠」より犬山城を拝領。出自である三河国足助庄成瀬郷(現在の愛知県豊田市)の成瀬家を弟に託し、新たに犬山成瀬家を興しました。本銃の上部には、犬山藩成瀬家の家紋「丸に片喰」(まるにかたばみ)の意匠を見ることができます。