書跡
室町時代
あしかがよしてる ごないしょ 足利義輝 御内書 /ホームメイト
本状は、室町幕府13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)が、「三好筑前守」(みよしちくぜんのかみ)宛てに書いた「御内書」(ごないしょ)です。
御内書とは、代々の足利将軍が自署もしくは花押(かおう:絵のようにデザインした署名)が記されており、形式は私的な書状と変わらないものの公的意義を持つ文書のことを言います。室町時代後期から戦国時代になると、将軍の命令を伝達する有力な手段となりました。
宛先の「三好筑前守」は、「三好長慶」(みよしながよし/ちょうけい)、または、その嫡男「三好義興」(みよしよしおき)であると推定される人物。「三好家」はもともと阿波国(現在の徳島県)の豪族で、三好長慶の時代には畿内全域を支配していました。
この当時、「中道寺」(ちゅうどうじ:京都市右京区)における用水などの使用権を巡り、室町幕府の幕臣「大和晴完」(やまとはるなり/はるみつ)と西院村(さいいんむら:現在の京都市右京区、及び中京区)との間で論争が勃発。
この問題を受けて、足利義輝は大和晴完と西院村、双方で秩序を保って用水を使用するように、堅く申し付けることを促す内容を記し、三好筑前守へ送ったのです。なお、足利義輝と三好家には対立していた時期があったことから、本状は両者が和睦を結んだとされる、1558年(弘治4年/永禄元年)以降に発給されたと考えられています。