「銀叢梨子地鞘 打刀拵」は、3人の名工による金具を使用した貴重な拵(こしらえ)です。目貫(めぬき)を担当した後藤一乗(ごとういちじょう)は、後藤八郎兵衛家六代目当主であり、光格天皇(こうかくてんのう)及び孝明天皇(こうめいてんのう)の刀装具(とうそうぐ)を制作しました。
本拵の目貫は、差表(さしおもて)が銀と素銅(すあか:純度の高い銅)を使用して丹頂鶴(たんちょうづる)を容彫(かたちぼり:背景は彫らずに主題の輪郭を作品の形状とする方法)にしています。差裏(さしうら)の目貫は、金地の親子丹頂鶴で、後藤一乗の際端銘(きばためい:差裏の目貫に切る銘)が切られており、超絶技巧の極小文字です。
縁(ふち)・頭(かしら)・鯉口(こいくち)・栗形(くりがた)・責金物(せめかなもの)・鐺(こじり)は、京都・大月派(おおつきは)の篠山篤興(ささやまとくおき)作。篠山篤興は光格天皇の刀装具と孝明天皇の拵を制作しています。
本拵の金具は、氷の亀裂のような模様に梅の花と松葉を散らした「氷割梅花松葉散図」(こおりわりばいかまつばちらしず)が銀磨地に高肉彫(たかにくぼり)で施された物です。鍔(つば)は後藤一乗門下の今井享斎(いまいきょうさい)によるもの。今井享斎の本名は、今井永武(いまいながたけ)。通称は彦十郎。享斎もしくは武鉄と号(ごう)しました。
本拵の障泥形鐔(あおりがたつば:角が丸みを帯び、わずかに上端より下端が長い台形の鍔。馬具の障泥に似ていることが由来)に象られているのは、表面が寿老人(じゅろうじん:七福神の1人)と亀、裏面が鹿の図柄です。三名工の競演は、いずれも長寿を象徴する図柄という点で、共通しています。
金具のみならず、緻密な出来の銀梨子地塗(ぎんなしじぬり:漆塗の手法のひとつ)の鞘も美しく、重厚感のある格調高い作品です。