小柄・笄
未査定
ふたところもの むめい ごとう おわりとくがわけでんらい こづか・こうがい 二所物 無銘(後藤)尾張徳川家伝来 小柄・笄/ホームメイト
後藤家は室町時代の足利家にはじまり、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康と時の権力者に代々仕え、幕末明治まで続いてきた金工一家。
後藤家の初代「後藤祐乗」(ごとうゆうじょう)は、室町時代における東山文化の一翼を担った日本工芸界を代表する芸術家。「日本金工の祖」とも言われます。
続いて2代「後藤宗乗」(ごとうそうじょう)、3代「後藤乗真」(ごとうじょうしん)が代々将軍家に仕えたことから、その作風は「御家彫り」(おいえぼり)と呼ばれるようになりました。
4代光乗(こうじょう)の時には、織田信長から金の大判を制作する「大判座」の命を受け、刀装具のみならず通貨の製造においても活躍。10代廉乗(れんじょう)の時に、長く親しんだ京都から将軍の御膝元である江戸へ、活躍の場を移したのです。
後藤家は、主に将軍家の三所物(みところもの:目貫、笄[こうがい]、小柄[こづか]のこと)を制作しました。作品には、天地をつかさどる龍と獅子の図柄、その時の権力者が用いていた家紋を意匠に使用。素材は、金無垢の他に金と銅を混ぜ合わせた「赤銅」(しゃくどう)という美しい漆黒の合金が用いられました。
本二所物も、金の含有率が高い良質な赤銅が用いられています。徳川家の家紋である葵の紋と、整然と綺麗に打たれた魚子地(ななこじ:彫金の技法で、金属の表面に小さな粒を一面にきざんだ細工)が見事。桐箱の地板には「尾張大納言」と記されており、徳川御三家のひとつ「尾張徳川家」に伝えられてきた証が残されている大変貴重な一品です。