山口県防府市にある防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は、「菅原道真」(すがわらのみちざね)を祀る神社「天満宮」として、最も早く建立された物のひとつ。古くから多くの人々に崇敬され、有力者の保護を受けました。本甲冑(鎧兜)は付属の唐櫃(からびつ)にある記録から、室町時代に守護大名の「大内盛見」(おおうちもりあきら)が奉納したと考えられる「大鎧」(おおよろい)です。
本大鎧は、浅葱色の「威毛」(おどしげ)を基本とし、「草摺」(くさずり)の一端を異なる数色の組紐で威します。これは南北朝時代から室町時代に行われた「褄取威」(つまどりおどし)という手法で、かつて備わっていた「袖」(そで)も同じ仕立てだったと推測されます。
また、「兜」(かぶと)は伝統的な「星兜」(ほしかぶと)を採用しますが、「兜鉢」(かぶとばち)は半球状から脱し、室町時代に広まった「阿古陀形筋兜」(あこだなりすじかぶと)にやや近づいた形となります。兜鉢の装飾も前の時代に比べて省略されることから、星兜が筋兜の流行に押され、衰退していく時期の作と考えられるのです。「胴」(どう)のシルエットも、騎馬戦より徒歩での戦闘を念頭に置いた、腰に向かってすぼまる形をしており、当時大鎧が「胴丸」(どうまる)の機能に近づいていたことがうかがえます。
付属する唐櫃の蓋裏には、大内盛見が足利将軍家から拝領した「浅葱糸威の大鎧」を、天満宮の祭礼で神輿を警護する随兵(ずいひょう)のため、1429年(正長2年)に寄進する旨が記されます。兜の「鍬形台」(くわがただい)や「吹返」(ふきかえし)などに、足利家など限られた家のみが用いた桐紋の「金物」(かなもの)が打たれる点からも、本大鎧がそれに当たるとされます。