本甲冑(鎧兜)は、江戸幕府初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)所用の「当世具足」(とうせいぐそく)として有名な1領。江戸幕府のお抱え具足師となる初代「岩井与左衛門」(いわいよざえもん)の作とされ、重要文化財指定を受けています。
全身を黒色で統一した本具足は簡素に見えますが、漆の塗りは丁寧で、各部の「金物」(かなもの)も高価な「赤銅」(しゃくどう)が使われた、天下人である徳川家康にふさわしい高級なつくり。「大黒頭巾形兜」(だいこくずきんなりかぶと)は、大黒天の夢を見た徳川家康が作らせたとする話から、「御夢想形」(ごむそうなり)などの別名もあります。
「胴」(どう)は「伊予札」(いよざね)で構成された「丸胴」(まるどう)。この種の胴は当世具足の発生期にあたる安土桃山時代、織豊政権に連なる人物が所用した例が多く、本具足の他に、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)所用「銀伊予札白糸威丸胴具足」や「前田利家」(まえだとしいえ)所用「金伊予札白糸威丸胴具足」などが現存します。
本甲冑(鎧兜)は別名を「歯朶具足」(しだぐそく)とも言います。これは、シダの葉の「前立」(まえだて)が付属することに由来しますが、兜にこの前立を取り付ける装置はありません。
本具足は徳川家康の死後に久能山東照宮へ納められますが、江戸幕府3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)により江戸城へ移されます。以後、本具足は毎年正月の「具足開き」(鏡開き)の日に江戸城黒書院に飾られた他、歴代の江戸幕府将軍は写しの甲冑(鎧兜)を作らせました。
明治維新後、徳川宗家16代当主の「徳川家達」(とくがわいえさと)が他の道具とともに久能山東照宮へ再び奉納し、現在に至ります。