栃木県日光市の「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)は、江戸幕府初代将軍の「徳川家康」(とくがわいえやす)を祀る「東照宮」の総本宮として非常に有名です。徳川家康ゆかりの品々が社宝として大切に受け継がれており、本甲冑(鎧兜)もそのひとつとしてよく知られています。
「南蛮」の言葉通り、本甲冑(鎧兜)の「兜鉢」(かぶとばち)と「胴」(どう)は日本製ではなく、当時のヨーロッパで作られた物。兜鉢と胴のどちらも幅広い鉄板を打ち出して形作った物で、正面中央には鎬(しのぎ)を立てることで敵の攻撃をそらすように設計されます。
日本へ渡ったヨーロッパ製の甲冑(鎧兜)の多くは、貿易船の船員が海戦のために用意した物で、身軽に動く必要から兜と胴の2つしか装備しない形式が主流。こうした甲冑(鎧兜)を「当世具足」(とうせいぐそく)として使うため、日本甲冑独特の「錣」(しころ)や「草摺」(くさずり)、「小具足」(こぐそく)を追加し、日本での合戦にも通用する工夫がなされているのです。
徳川家康は南蛮胴具足を大変好んだと見え、本具足の他にも、紀州東照宮所蔵品(重要文化財)をはじめ、家臣の「榊原康政」(さかきばらやすまさ)、「渡辺守綱」(わたなべもりつな)、「皆川広照」(みながわひろてる)へ与えた物が確認されます。