宮城県仙台市は昭和時代中期に、伊達家から寄贈された歴史資料や美術品を保存公開する施設として「仙台市博物館」(せんだいしはくぶつかん)を設立。仙台市博物館の所蔵品中、特に有名なのが仙台藩初代藩主の「伊達政宗」(だてまさむね)所用「黒漆塗五枚胴具足」(重要文化財)です。
本甲冑(鎧兜)の「胴」(どう)は、分解すると5つの部品に分かれる「五枚胴」(ごまいどう)で、腰すぼまりの形が強く、厚く鍛えた鉄板で作られ、頑強で重量もあります。特に、陸奥国南部(現在の福島県)会津地方にいた「雪下派」(ゆきのしたは)の鍛冶職人が、天正から慶長にかけて制作した「雪の下胴」(ゆきのしたどう)という形式です。
「兜鉢」(かぶとばち)は、細長い鉄板62枚を鋲でつなぎ構成した丈夫な「六十二間筋兜」(ろくじゅうにけんすじかぶと)。裏には作者の銘「宗久」(むねひさ)が刻まれます。六十二間筋兜は室町時代末期から関東以東の上級武士が広く使用しており、本甲冑(鎧兜)は、いわば戦国時代の東日本で発展した甲冑(鎧兜)と言えるのです。
同じく仙台市博物館所蔵の「銀伊予札白糸威丸胴具足」([豊臣秀吉:とよとみひでよし]から伊達政宗へ下賜)は畿内で作られた、活動性重視の軽量な「当世具足」(とうせいぐそく)で本甲冑(鎧兜)と対照的。これら2領は、ほぼ同じ時期に作られ使われた物として、当時の東西日本の社会や文化の違いを示す資料と言えます。
本甲冑(鎧兜)は、伊達政宗の四男「伊達宗泰」(だてむねやす)に与えられ、その子孫である岩出山伊達家が所持。そののち、仙台藩4代藩主の「伊達綱村」(だてつなむら)に献上され、本家の仙台藩主伊達家に戻りました。