本大鎧は、広島県廿日市市の厳島にある「厳島神社」(いつくしまじんしゃ)が所蔵する名甲冑。現存数わずかな平安時代後期の「大鎧」(おおよろい)で、右脇に当てる「脇楯」(わいだて)と左胸を守る「鳩尾板」(きゅうびのいた)などを失ってはいますが、古雅で格調高い姿をなお保ち、国宝に指定されています。
本大鎧の「小札」(こざね)は、高さ約8cm・幅約5cmと現存品中、最大級のサイズ。軍記物語に登場する「大荒目[おおあらめ]の鎧」という言葉は、大きな小札で仕立てられた大鎧の表現とされますが、本大鎧はそれにふさわしい豪壮な造形です。同時に、白地に繊細な桜花文を藍染めで表した「小桜韋」(こざくらがわ)の「威毛」(おどしげ)や、金銀のメッキを使い分けた桜花の形の「金物」(かなもの)からは、雅な貴族文化の影響が感じられます。
「兜鉢」(かぶとばち)が、1枚の鉄板を半球状に打ち出して装飾する「一枚張筋伏」(いちまいばりすじふせ)という非常に珍しい技法で制作されるのも大きな特徴です。
現在の社伝では、本大鎧は「保元の乱」(ほうげんのらん)で活躍した「源為朝」(みなもとのためとも)所用とされますが、「集古十種」(しゅうこじっしゅ)など、江戸時代末期までに成立した文献や記録にそのような情報はありません。厳島神社は「平清盛」(たいらのきよもり)はじめ平家一門の保護を受けていたことから、本大鎧も実際は平家と関連があるのではないかとする指摘があります。