本大鎧は、広島県を代表する神社の「厳島神社」(いつくしまじんしゃ)に伝わってきました。平安時代後期の大鎧として、「兜」(かぶと)、「胴」(どう)、「袖」(そで)がすべて揃った貴重な1領で、国宝指定を受けています。
本大鎧の国宝指定名称は「紺糸威鎧」(こんいとおどしよろい)とされ、「小札」(こざね)をつなぐ「威毛」(おどしげ)は藍染めで着色されますが、何度も染色を繰り返しており、非常に濃い紺色に仕上げられています。実際に観ると黒に近い色合いで、近くに寄らないと濃紺色とは分からず、むしろ「黒糸威」と呼ぶべきとする意見もあるほど。
本大鎧の威毛や他の甲冑(鎧兜)から考えて、中世の記録や軍記物語などにある「黒糸威」や「黒韋威」は、非常に濃い藍染めにより生み出されたものと推測されます。なお、現状の本大鎧に交じる明るい紫色の威毛は明治時代の修理で補われたもので、化学染料の紺色が経年で色褪せたのです。
本大鎧は「平清盛」(たいらのきよもり)の長男「平重盛」(たいらのしげもり)が奉納したと古くから伝わり、「集古十種」(しゅうこじっしゅ)や「厳島図会」(いつくしまずえ)などの図鑑で紹介されたこともあり、大変知名度が高い甲冑(鎧兜)です。