東京都青梅市の御岳山頂に鎮座する「武蔵御嶽神社」(むさしみたけじんじゃ)は、平安時代後期に作られた「大鎧」(おおよろい)の「赤糸威大鎧」(あかいとおどしおおよろい)を所蔵しています。
武蔵国(現在の埼玉県・東京都)の有力武士で、「源頼朝」(みなもとのよりとも)を支えた「畠山重忠」(はたけやましげただ)が奉納したと伝わる、豪壮かつ品格高い名甲冑。江戸時代には江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が上覧し、「松平定信」(まつだいらさだのぶ)編纂の「集古十種」(しゅうこじっしゅ)にも掲載されたことで古くより知名度が高く、現在は国宝指定を受けています。
本大鎧は幅広の分厚い「小札」(こざね)を、茜(あかね)で染めた赤い太組の糸で威してあり、全重量約26kgと大変重厚。「平家物語」などの軍記物語にある「大荒目[おおあらめ]の鎧」という語は、大ぶりな小札で仕立てた大鎧と解釈されていますが、まさにその表現が良く当てはまります。腰に向かい緩く広がる胴のラインと、大型の「栴檀板」(せんだんのいた)、「鳩尾板」(きゅうびのいた)は、本甲冑(鎧兜)が「騎射戦」(きしゃせん:騎乗しながら弓矢を射る戦法)が盛んな時期の作であることを示します。「兜鉢」(かぶとばち)もまた、平安時代に流行した「厳星兜」(いかぼしのかぶと)で、鉄板を留める鋲の頭が大きいのが特徴。
「赤糸威大鎧」は明治時代の修理を経て現在に至ります。その際に化学染料で赤く着色した組糸が「威毛」(おどしげ)の補填として使われましたが、それらは1世紀を経た現在はすっかり色褪せてしまい、一方で当初の茜染めによる威毛は、なお赤色を鮮やかに保っています。