本甲冑(鎧兜)は、愛媛県随一の古社である「大山祇神社」(おおやまづみじんしゃ)が所蔵する国宝。「胴丸鎧」(どうまるよろい)という珍しい形式で、唯一現存する物が本甲冑(鎧兜)です。大山祇神社は、古来武具の奉納が数多く行われ、国宝や重要文化財に指定された日本甲冑のおよそ4割を所蔵。なかでも本甲冑(鎧兜)は、「源義経」(みなもとのよしつね)が所用したという伝来があることで特に有名です。
胴丸鎧は、騎乗して弓矢で戦う武士が着た「大鎧」(おおよろい)と、徒歩で戦う雑兵が使用した「胴丸」(どうまる)を折衷した形の甲冑(鎧兜)です。胴には、大鎧にある「栴檀板」(せんだんのいた)と「鳩尾板」(きゅうびのいた)、「弦走韋」(つるばしりのかわ)が付く一方で、大鎧の部位である「脇楯」(わいだて)がなく、腹回りを「小札板」(こざねいた)でぐるりと覆い、歩きやすいように「草摺」(くさずり)が多く分かれるという、胴丸の特徴も持ち合わせます。
本胴丸鎧は、江戸時代と明治時代の修理を経ており、「威毛」(おどしげ)はほとんどが明治時代の修理で新しい物に置き換わり、現状では7間ある草摺も、本来はもう1間多い8間だったと推測されます。
胴丸鎧は、中世の記録でわずかにみられる程度で、あまり普及しませんでした。源義経の「八艘飛び」(はっそうとび)伝説から海戦用の甲冑(鎧兜)とする解釈もありますが、当時の史料や絵画からそのような様子はうかがえません。甲冑研究家の山岸素夫氏は、小札がすでに小型化していることなどの特徴から、本胴丸鎧の制作時代を南北朝時代と推定しています。