本太刀は、鎌倉時代中期に備前国(現在の岡山県東部)で活動した「福岡一文字」の刀工「吉房」が作刀した太刀です。
号である「岡田切」の由来は、織田家家老「岡田重孝」を切ったという逸話から来ています。
1582年(天正10年)「織田信長」が「本能寺の変」で討たれたあと、織田信長の次男「織田信雄」は後継者争いによって「豊臣秀吉」と対立しました。そして、2年後の1584年(天正12年)織田信雄は豊臣秀吉の流言を信じて岡田重孝の他、織田家家臣の「津川義冬」(つがわよしふゆ)や「浅井長時」(あざいながとき)を伊勢国(現在の三重県)「長島城」に呼び出して誅殺したと言われており、この時に使用したのが本太刀です。