「短刀 銘 兼次」は、美濃国(現在の岐阜県南部)の刀工「兼次」(かねつぐ)が作刀した短刀です。兼次は、「正宗十哲」(まさむねじってつ)のひとりである初代兼氏の子または門人と伝えられ、観応年間(1350~1351年)に活躍したと言われています。
美濃国志津の地に初代兼氏が居住してから一派が栄え、のちに門弟である兼次、兼俊(かねとし)、兼友(かねとも)、兼信らが美濃国直江に移住し、作刀しました。そのため一門を直江志津と総称しています。
本刀は、振袖茎(ふりそでなかご)の目釘穴下に「兼次」と大振の銘(めい)が切られ、現存する在銘作が少ない兼次の貴重な1振です。平造り(ひらづくり)、庵棟(いおりむね)、重ね薄く、内反りこころある古調な姿。地鉄(じがね)は小板目詰んで地沸(じにえ)細かに付き、やや肌立ち白けあり。刃文は匂(におい)深く小互の目調に湾れ、帽子は乱れ込み尖りこころに尋常に返り、表裏に素剣の刀身彫刻が施されています。同工、及び直江志津の作風を代表するものです。
付属の拵(こしらえ)は、「黒漆桐紋蒔絵塗鞘合口拵」(くろうるしきりもんまきえぬりさや あいくちごしらえ)。鮫皮(さめかわ)の巻かれた柄に付いた目貫(めぬき)、黒漆塗鞘の蒔絵、小柄(こづか)の図柄が桐紋で統一されています。