本刀は、仙台藩62万石を領していた奥州(おうしゅう:「陸奥国」[むつのくに:現在の青森県、岩手県、福島県、宮城県の全域と秋田県の一部]の異称)伊達家伝来の1振。本刀は無銘ですが(金粉銘は後代に施されたもの)、刀剣鑑定を行なっていた「本阿弥(ほんあみ)」宗家13代当主「光忠(こうちゅう)」により、在銘刀と同じ扱いとすると鑑定されています。
「来国俊」は、鎌倉時代中期以降に山城国(やましろのくに:現在の京都中南部)で栄えた来一門を代表する名工。その銘の切り方には、3字銘の「来国俊」と、通称「二字国俊」と呼ばれる2字銘の「国俊」という2種類があります。これらは、初代と2代である別人説と、ひとりの人物が長寿であった説とのあいだで、昔から議論がされてきました。
しかし、現在では、来国俊と二字国俊は、別人であったことが有力視されています。来国俊は、来一門の中で初めて「来」の字を銘に用いた刀工であり、以後、同門ではこれに倣っているのです。