「真守」は、「畠田」(はたけだ)派の祖「守家」(もりいえ)の子、あるいは孫と伝わる刀工。同派は、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて、備前国長船(びぜんのくに・おさふね:現在の岡山県瀬戸内市)と小川をひとつ隔てた隣接地・畠田に居住し、栄えた一派です。
「畠田真守」は、「畠(畑)」や「田」を「真」に「守」ることを意味する縁起の良いの名前のうえ、さらには古今に優れた名刀として、特に大名家において重宝されました。
また真守は、鎌倉幕府が全国から切れ味に優れた刀(=業物[わざもの])を報告させ、その刀工名をまとめた「注進物(ちゅうしんもの)」や、室町幕府3代将軍「足利義満」(あしかがよしみつ)が備前国・備中国(びっちゅうのくに:現在の岡山県西部)の刀工のうち、下賜するのにふさわしい業物の刀工60名を挙げた「可然物」(しかるべきもの)にも選ばれていたことから、名前だけでなくその作刀技術も高く評価されていたことが窺えます。
本刀は、「毛利元就」(もうりもとなり)の次男で、武勇に優れた「毛利両川」(もうりりょうせん)のひとりであった「吉川元春」(きっかわもとはる)が愛蔵した1振。「一文字」(いちもんじ)作のようにも見える、吉川家における健全無比の宝刀です。
「猪首鋒/猪首切先(いくびきっさき)に鈍刀なし」の言葉通りに豪快な造込みで、刃文には蛙子丁子乱(かわずこちょうじみだれ)が交じり、乱映りが鮮やかに現れています。真守の秀でた技量を示す特徴が随所に見られる傑作刀です。