本太刀の作者である「菅原為遠」は、「福岡一文字」(ふくおかいちもんじ)の流れを汲むと見られる刀工。茎の銘振りからは、唐河(からかわ:辛川と備中国〔びっちゅうのくに:現在の岡山県西部〕との国境付近)に為遠が住していたことが分かります。
この時代、「長船派」(おさふねは)の刀工以外では、銘に居住地を切ることはとても珍しく、さらには官名(官職の名称)である「左兵衛尉」(さひょうえのじょう)に年紀銘となる「文保元年(1317年)」という年号が入っていることにより、特別の注文によって作刀されたことも窺い知ることができ、備前刀工を研究する上で非常に貴重な日本刀です。
本太刀の形状は鎬造り(しのぎづくり)に庵棟(いおりむね)で、やや磨上げられています。また、地鉄(じがね)は小板目が詰んでわずかに映り立ち、刃文は匂(におい)出来の直刃(すぐは)調に湾れ(のたれ)、小互の目(ぐのめ)交じりに足は入るのが特徴となっており、地刃共に健全な1振です。