本太刀は、「山名家」から鳥取藩主「池田家」へと伝来した、由緒正しい「伯耆国宗」(ほうきくにむね)の作です。
本太刀の作者である伯耆国宗は、伯耆国(ほうきのくに:現在の鳥取県西半部)で鎌倉時代に活躍した刀工。一説によると「備前三郎国宗」(びぜんさぶろうくにむね:備前長船出身で、後年鎌倉に移住して相州鍛冶の基礎を作った人物)の門人と伝わります。
彦根城博物館が所蔵する重要文化財「太刀 銘 国宗(伯耆)」は伯耆国宗の代表作で、江戸時代後期の大名「井伊直亮」(いいなおあき)の差料としても有名です。
また、山名家とは、室町時代に繁栄した、清和源氏新田氏庶流の武家の名門。全国66ヵ国のうち11ヵ国の守護職を務め「六分の一殿」と呼ばれたことも。しかし、1391年(元中8年[南朝]/明徳2年[北朝])、「明徳の乱」を起こして幕府に反した結果、制圧されて没落。山名持豊(法名:宗全)の時代に武功を挙げて盛り返しますが、その後は大幅に勢力を失いました。
太刀姿は品格があり、地刃ともに健全。板目がよく詰み、沸(にえ)づいた小乱れに丁子が乱れる、とても華麗な刃文です。荒びた感じが格好良いと言われる、伯耆国宗の特徴がよく表れています。