刀工の「兼光」とは、「備前長船兼光」(びぜんおさふねかねみつ)のこと。兼光は4名存在しましたが、延文年間(1356~1360年)に活躍した兼光は、2代兼光、延文兼光と言われ、刀剣史上12名しか存在しない最上大業物、古刀最上作の作者として有名です。
本刀は、「本阿弥光忠」(ほんあみこうちゅう)が兼光作と極め、「本多平八郎忠為所持」と金象嵌を切った日本刀。本多平八郎忠為は、徳川家に仕え「徳川四天王」のひとりと称された、本多平八郎忠勝(ほんだへいはちろうただかつ)の孫。「大坂夏の陣」や「道明寺の戦い」で武勲を挙げ、2代将軍「徳川秀忠」の娘で、「豊臣秀頼」の妻だった「千姫」を娶った人物です。
本刀は、大磨上。身幅が広く、大鋒/切先(きっさき)の豪壮な姿。鍛えは小板目がよく詰み、地沸(じにえ)が細かくつき、乱れ映りも鮮やか。刃文は匂出来で小沸がつき、小互の目(こぐのめ)乱れに刃交じり、逆足(さかあし)や小足(こあし)が入るなど、見どころが多く見事です。