本小太刀は、本多家11代宗家、「本多忠粛」(ほんだただとし)伝来の名刀です。
本多家は、松平(徳川)家に仕えた三河譜代の家系で、安祥七譜代(松平家に仕えた最古参の7家臣)の一家です。本多家は、徳川宗家と分家以外に使用が許されなかった葵紋を唯一許されています。
1769年(明和6年)、「本多平八郎忠勝」(ほんだへいはちろうただかつ)の直系である忠粛は、所領五万石のまま、十万石の格式で徳川家康誕生の地として別格の扱いを受けている岡崎藩(現在の愛知県岡崎市)に封じられました。則房は福岡一文字助房の次男で、備前福岡近くの片山の地で作刀し、片山一文字の祖となりました。
本小太刀は古備前の作風を色濃く残した1振です。