本刀は、上杉三十五腰(上杉謙信の所蔵品の中から上杉景勝が気に入った上杉家伝来の日本刀を選抜した名刀リスト)のうちの1振です。
国宗は備前長船の初代国真の三男であることから、「備前三郎国宗」(びぜんさぶろうくにむね)と呼ばれています。18歳のときに鎌倉幕府に召され、のちに新藤五国光の師となりました。58歳で備前に帰りますが、82歳のときに執権北条時頼の命により出府して鍛刀しています。
国宗の作風は鎌倉中期の太刀姿ですが、豪壮さが見られない代わりに反りの深い品格のある姿です。常に備前伝を守り、丁子乱れを焼き、丁子映りも現れていますが、後世の相州伝の基本となる焼き入れ法で飛焼風のところも現れ、小沸も付きます。