「刀 無銘 伝光忠」は「備前長船」(びぜんおさふね)の開祖とされる「光忠」(みつただ)の作品です。大磨上げ(おおすりあげ:太刀や大太刀の茎を切り詰めて刀身の寸法を短くすること)で、差表に「光忠」、差裏に「五月雨」(さみだれ)と金粉銘(後代の刀剣鑑定家が極め、金粉で記した銘)が入っています。
この「五月雨」は、室町幕府13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)の辞世の句に由来すると言われている号です。「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」(しとしと降りしきるこの五月雨は、ただの露なのか、それとも私の悔し涙なのであろうか。ほととぎすよ、あの厚い雨雲を突き抜けて、青天にまで私の名を広めるのだ)。
また別の説では、本刀を愛蔵していた「杉山茂丸」(すぎやましげまる:明治から昭和にかけての実業家)が、入手の際に一括で代金を払うことができずに分割したため、その断続的な支払方法が五月雨のようと例えられたためと伝えられています。
本刀の作者である光忠は、切れ味の鋭い豪壮で華やかな作品で知られ、とりわけ光忠を好んだ織田信長は生存中に25振を集めたと、江戸時代中期の逸話集「常山紀談」(じょうざんきだん)に記されました。