助真は、福岡一文字・助房の子で、一文字吉房・則房とは兄弟です。
1266年(文永3年)、鎌倉幕府の将軍職を継がれた惟康親王(後嵯峨天皇第一皇子)のお召しに応じて、一門と共に鎌倉の沼間に住し、鎌倉一文字の一派を樹立した鎌倉鍛冶開拓者のひとりです。
太刀は、一見して身幅広く、重ねはやや厚く、猪首切先になった力強い作柄が多く、福岡一文字の作風をよく守った、華やかな大丁子乱れを焼くため、他の鍛冶と間違えることはありません。特に鎌倉移住後は焼きが強くなり、丁子に小沸がつき、刃中に金筋・砂流しごころが必ず見られる作風です。本刀においても、地沸が細かに厚くつき、金筋がよく目立っています。