本太刀は、備前国(びぜんのくに:現在の岡山県)の「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)の刀工「宗吉」(むねよし)が作刀した1振です。
福岡一文字派は、「則宗」(のりむね)が始祖。備前長船に隣接する「福岡庄」で作刀し、刃文は天下一と謳われる華麗な乱れ刃を焼き、茎(なかご)に銘を「一」と切るのが特徴です。
宗吉は、始祖則宗の娘婿。作風は、古備前の遺風がのこる、反りの深い優しい姿で、焼幅(やきはば)の狭い上品な小丁子乱(こちょうじみだれ)や直刃丁子乱(すぐはちょうじみだれ)を得意とし名匠と呼ばれました。
「後鳥羽上皇」(ごとばじょうこう)より、「御番鍛冶」(ごばんかじ)のひとりに選ばれ、「刑部丞」(ぎょうぶのじょう)の官位を賜っています。なお、御番鍛冶とは、1207年(承元元年)から1221年(承久3年)にかけて、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を討幕するために作った、名工集団。全国から優れた刀鍛冶を招集し、月番を定めて太刀を作らせ、宗吉は7月を担当したと伝えられています。
本太刀は、腰反りが高くて踏ん張りのある、鎌倉時代初期らしい優美な姿。地鉄(じがね)は板目肌(いためはだ)で、やや肌立ち、乱映り(みだれうつり)が立っています。刃文は小沸(こにえ)付いた小乱(こみだれ)に丁子を交え、足(あし)・葉(よう)がよく入り秀逸です。