「刀 無銘 伝志津(切付け銘有り)」は、薙刀(なぎなた)を刀に仕立て直したもので、志津三郎兼氏(しづさぶろうかねうじ)作と極められています。兼氏は、正宗十哲(まさむねじってつ)のひとりとして、美濃伝(みのでん)の発展に大きく寄与しました。正宗十哲のなかで最も正宗(まさむね)に作風が近いと言われています。
大和国(現在の奈良県)手掻派(てがいは)出身で、当初は包氏(かねうじ)と名乗っていましたが、正宗に学び相州伝を修得。美濃国志津(現在の岐阜県海津市)に移住し志津三郎兼氏に改名します。兼氏の死後、その弟子達が志津系を継承。隣接する直江村に移住し一派の名称を直江志津と改め、大和伝と相州伝を加味した美濃伝を完成させました。
本刀は、匂口(においぐち)深く、大鋒/大切先(おおきっさき)の豪壮な姿で、南北朝時代の代表的な特色がよく表われています。刃文(はもん)は、浅い湾れ(のたれ)に小乱れ交じり、沸(にえ)匂深く(においふかく)、砂流し(すながし)が盛んに掛かっているのが特徴です。
茎(なかご)には、「霊刀不放身 委細アリ 売借質 懸阿鼻獄令 金打於今生違之者 八幡大菩薩御罰可豪也 吉原量風」の長文銘が切られており、現代語に訳すと「本刀には霊力が宿っているので、譲渡や売却、質に入れてはいけない。現世においてこれを守らない者は、地獄に落ち、八幡大菩薩の罰を受けることになる。吉原量風[刻んだ者の名前]」となります。
これは「日本刀には霊力が宿る」という古来からの信仰を窺わせ、武士にとって日本刀が武器以上の物で精神的な支柱であったこと示す資料としても貴重です。