本短刀は、鎌倉時代末期の1300年(正安2年)に、備前国の福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)で活動した「長則」(ながのり)による作品です。
鉱業や機械工業分野で勢力を振るった古河財閥に伝来し、1949年(昭和24年)に重要美術品に認定された時は、4代当主の「古河従純」(ふるかわじゅうじゅん)氏が所持していました。
長則は「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)の末期に属する刀工。個人名と居住地や官職名、作刀年月日を併せて茎(なかご)に記銘することが多く、本短刀の他に1297年(永仁5年)や1303年(嘉元元年)などの作品が知られます。
本短刀は平造り(ひらづくり)で反りはなく、茎は生ぶ、先は栗尻(くりじり)。鍛肌は板目(いため)がよく詰んで、棒映り(ぼううつり)の気があります。
刃文(はもん)は、細直刃(ほそすぐは)に湾れ(のたれ)をわずかに交え、小足(こあし)が入ります。刃縁(はぶち)は締まり全体的に匂出来(においでき)ですが、帽子(ぼうし)は少し沸(にえ)付きます。また、差表(さしおもて)には素剣(そけん/すけん)を、差裏(さしうら)には腰樋(こしび)を彫ります。
本短刀と同じ「正安二年八月日」に長則が作刀した短刀は、他に福岡藩主黒田家伝来品とアメリカ合衆国・ボストン美術館所蔵品の2振が知られます。
福岡一文字派による短刀の現存品は非常に少なく、長則は本短刀を含めたこれら3振を、なにか特別な事情の下で作刀したのではないかと指摘されています。