雲重が属していた「雲類」(うんるい)は、備前国宇甘郷(うかいごう)に住した一派です。
「雲類」の呼称の由来は、始祖であった初代「雲生」(うんしょう)が、後醍醐天皇の勅命を受けて太刀を作ることになったという伝説にあります。作刀を進めようとしていた「雲生」は、自身の思う通りにならずに苦労していました。しかし、ある夜に見た夢に浮雲が現れ、それをヒントに刃文を焼いて、完成させることができたのです。その1振を後醍醐天皇に献上したところ、その卓越した仕上がりに「刃文の様子、雲の如し」とのご高評を賜ったことから、「雲」の字を一派の通字として用いるようになったのです。
作風は反り深く、先反り気味があり、猪首風の豪壮さがあり、焼強く、小沸が付きます。また「雲類」一派の作柄は、山城から備前に移住してきた経緯があることから、他の長船鍛冶とは異なり、山城伝の趣を示しています。