本太刀は、来派(らいは)の実質的な祖とされており、愛染国俊(あいぜんくにとし)などの作者である「来国俊」は来国行の子とされています。
本太刀(たち)は、播磨国(現在の兵庫県南西部)の明石松平家に伝来。そのため、「明石国行」(あかしくにゆき)の号を与えられています。そのあと、株式会社ぎょうせいの中興の祖である「藤澤乙安」(ふじさわおとやす)氏の所蔵となっていました。
本太刀の刃長(はちょう)は約76.3cm、反りは3.1cm、元幅は2.9cmの大きさとなっています。鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね:屋根の形に見える峰/棟[みね/むね])で、腰反りは高く踏張りがあり、鋒/切先(きっさき)が猪首(いくび)となっているのが特徴です。腰元には「三鈷柄付剣」(さんこつかつきけん:密教で使用される祭神具のひとつ)の浮彫があり、目釘孔(めくぎあな)下の峰/棟寄りには、二字銘も記されています。
本太刀は、1937年(昭和12年)5月25日、重要文化財に指定。1953年(昭和28年)3月31日には、国宝に指定されました。現在、「公益財団法人日本美術刀剣保存協会」が所蔵。東京都墨田区にある「刀剣博物館」に収蔵されています。