「日光一文字」という号の由来は、「日光権現社」(にっこうごんげんしゃ:現在の栃木県日光市)に奉納されていた刀剣を、「後北条家」の創始者「北条早雲」(ほうじょうそううん)が譲り受けたという伝承にあります。
その後、本太刀は、「北条家」から「福岡藩」(現在の福岡県)の藩主「黒田家」へと伝来。黒田家の重宝となったのは、1590年(天正18年)に「豊臣秀吉」による「小田原征伐」の際、「黒田如水/官兵衛」(くろだじょすい/かんべえ)が、豊臣家と北条家の和睦に尽力したことへの謝礼として、北条家5代目当主「北条氏直」(ほうじょううじなお)から贈呈されたことがきっかけです。そして1978年(昭和53年)、黒田家より福岡市に寄贈されました。
本太刀は無銘ではありますが、華麗な「重花丁子乱」(じゅうかちょうじみだれ)の刃文から、鎌倉時代に備前国(現在の岡山県東南部)で活動した「福岡一文字派」の刀工によって制作されたと鑑せられます。