本太刀(たち)は、鎌倉時代中期に初代「包永」(かねなが)によって制作されました。拵(こしらえ)に関しては、江戸時代初期に作られたと推測されています。明治時代に、実業家の「赤星鉄馬」(あかぼしてつま)氏が本太刀を所蔵。そののち、三菱財閥の創始者一族である岩崎家へと渡っています。
本太刀の制作者である初代包永は、「平三郎」(へいざぶろう)とも呼ばれ、1288~1293年(正応元年~永仁元年)頃に活躍。大和国(現在の奈良県)の刀工一派「手掻派」(てがいは)の祖として知られています。本太刀は、刃長(はちょう)が73.0cm、反りは2.7cmの大きさで、腰反り高く優美な姿が特徴的です。刃文(はもん)と地鉄(じがね)の境目の刃縁(はぶち)には微細な粒子が浮かんでおり、茎(なかご)先に近い峰/棟(みね/むね)寄りには二字銘(にじめい)も記されています。
1931年(昭和6年)12月24日、重要文化財に指定。1952年(昭和27年)11月22日には国宝に指定されました。現在は、「静嘉堂文庫美術館」(東京都世田谷区)が所蔵しています。