「小狐丸」(こぎつねまる)は、山城国(現在の京都府南部)の三条に暮らしていた刀工「三条宗近」(さんじょうむねちか)が、狐を相槌(あいづち:助手)として作刀したとされる太刀(たち)です。三条宗近は、古風で優雅さをもつ作風で知られる「三条派」の始祖で、室町時代に成立した能「小鍛冶」の演目としても取り上げられました。
あるとき、夢のお告げで三条宗近のことを知った66代「一条天皇」(いちじょうてんのう)より、日本刀を打つよう命じられました。しかし、相槌もいない三条宗近は、自分ひとりでは良い日本刀を打てそうにもありません。困り果てて稲荷明神(いなりみょうじん)へ祈願したところ、突然現れた童子が「御剣[ぎょけん]づくりは必ず成就する。力を添えよう」と言って、稲荷山へ消えたのです。その後、屋敷へ戻ると稲荷明神の使いとする小狐が現れ、相槌となって御剣の作刀を手伝ってくれました。三条宗近は、小狐の協力のおかげで完成した見事な太刀の表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘(めい)を切ったとされます。
この小鍛冶は能以外でも、歌舞伎、文楽などで演目となり、現代まで伝えられているのです。また、一条天皇へ献上された小狐丸は、のちに公卿の九条家へ渡ったとされていますが、それ以降、行方不明となりました。
「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ:大阪府東大阪市)所蔵の小狐丸は、約53.8cmと脇差(わきざし)の長さの太刀。元来の長さより、茎(なかご)部分を磨上げ(すりあげ)して短くされており、その際に宗近の銘の二文字部分を反対側へ折り曲げて残す、「折返し銘」が施されています。
前述の通り、伝説の太刀・小狐丸は行方不明ですが、この身幅(みはば)が狭く、鋭さと雅さを併せ持った石切劔箭神社の太刀こそが、伝説の名刀・小狐丸である可能性が高いと考えられているのです。
※小狐丸(銘 宗近)の刀剣イラストは、文章情報を参考に描き起こしたイメージイラストです。